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クラブの歴史とサポーターという生き物

サポライター #15 FC東京

text by 

弥三 (@yasabu_low) | Twitter

 

クラブの歴史とサポーターという生き物

FC東京は2018年で創立20周年を迎える。
この20年という歴史の中で、ヤマザキナビスコカップ(現名称ルヴァンカップ)を2回、天皇杯を1回、天に向かって掲げているが、残念ながらJ1リーグ制覇はまだ一度もない。
そのFC東京だが、今年は長谷川健太を監督に招聘し、8/17時点でリーグ戦3位という好位置につけている。
今年はFC東京にとって特別な年になるかもしれない。

サッカークラブにとって20年という時間は長いのだろうか?
海外に目を向けてみると、イングランドシェフィールドFCが1857年に創設されており、160年以上の歴史を刻んでいる。1857年といえば東京はまだ江戸だし、丁髷を結った侍が闊歩していた時代だ。そんな時代に東京にクラブができていたとしたら、「江戸連合」、「蹴球幕府連」「徳川蹴球隊」のような名称になっていたかもしれない。
ともかく、20年という時間はサッカークラブの歴史にとってみるとそこまで長い時間ではないようだ。FC東京はサッカークラブとしてはまだやんちゃな子供なのかもしれない。

だが、20年という時間は僕たち人間にとってみたらどうだろうか?
当然成人はしているし、大学で勉強に励んでいるかもしれないし、人によってはもう手に職をつけていることもあるだろう。
20年とは、僕たちにとってそれだけの重みのある時間の積み重ねである。
僕はFC東京を応援し始めて今年で13年になる。この13年という時間の中でも、僕のFC東京との付き合い方は様々変化している。

最初にスタジアムに足を運んだきっかけは姉だった。
当時サッカーに熱心だった姉は近所に住んでいた僕をサッカー観戦に誘った。どこのチームとの対戦だったかも覚えていないが、2階席で見ていたことは覚えている。その試合でFC東京は敗れた。
まず僕が驚いたのはサポーターの応援だった。
聞き覚えのあるメロディも多く、アップテンポで面白い歌詞が大音量でスタジアムを支配していた。まるで幼少の砌に大いに興奮した夏祭りの夜のようだった。
チームは負けたが、姉は次の試合も誘ってくれたので再びスタジアムに赴いた。そしてまたチームは敗れた。その後何度か足を運んだが、僕がスタジアムに足を運ぶとチームは敗れ、時に引き分けた。姉からは疫病神扱いをされたが、最初に観戦した時に「勝つときだけにサポーターが歌う歌がある」という言葉が忘れられず、それから姉に誘われなくても自分でチケットを買い、味の素スタジアムに通うようになった。
そして13試合目、チームはようやく勝利した。
サポーターが歌う「眠らいない街」が夕闇に響いた。どのチームとの試合だったかはこれも覚えていない。だが、初めて勝利の美酒に酔った気持ちは今でも覚えている。
そして思ったのだ、「僕もあのサポーターの仲間になってもっと喜びたい」と。

しかし、あのゴール裏の中に一人で飛び込んでいくのには勇気が必要だった。
知り合いもいない、チャント(応援歌)の歌詞も正確にわからない、もしかしたら独自のルールなどがあるのではないだろうか?
そんなふうに考えると、とても一歩が踏み出せなかった。
だが、幸運なことにFC東京にはペーニャという仕組みがあった。ペーニャとは社交場のような意味で、サポーターの小さな集団のようなものだった。メンバーと拠点となる行きつけの酒場(!)をクラブに届け出ることにより認可されるという仕組みだ。応援席であるゴール裏は数百人、千人という単位の集団だが、こうした小さな集団の中になら少しの勇気で飛び込むことができると思った。当時mixiが全盛期を迎えており、そこにもペーニャのコミュニティがあった。そのひとつに僕は飛び込んだ。酒場の門をたたき、仲間に加えてもらったのだ。
そこからは怒涛の日々だった。

まずはSOCIO(年間パスポートの購入者)になった。
次にユニフォームを買った。選手のことは良くわかっていなかったので、この年にチームに加入した福西崇史のユニフォームを買った。同じ年に加入した選手のユニフォームを着て一緒に新しい気持ちでクラブを応援しようと思ったからだ。
(余談だが、福西は翌年あっさりと移籍してしまう。しかも同じ味の素スタジアムをホームとする東京ヴェルディに…)
次にフットサルを始めた。これはペーニャの仲間と一緒に週1回という今考えると驚異的なペースで行った。人数集めに苦労もしたが、それも楽しかった。軌道に乗ると定員オーバーすることも出てきた。味の素スタジアムの横にフットサルコートがあり、そこでよくボールを蹴った。普段スタジアムで選手に対してブーイングをすることもあるが、実際に自分でボールを蹴ってみるととても謙虚な気持ちになれるので、スタジアムでフラストレーションを溜めている方々にはオススメである。時にフットサルには他チームのサポーターも参加した。お互い信じる宗教(チーム)が違っても仲良くなれた。
そしてゴール裏で応援を始めた。
さらにアウェイゲームにも行き始めた。初めは近場の川崎や大宮、そしてだんだんと距離を伸ばして千葉、清水、そしてついには札幌や大分にも行った。
このペーニャは僕の生活のサイクルを変えた。
仕事の時間以外は常にFC東京のことを考えるようになった。毎試合週替わりのゲーフラ(サポーターが掲げる門状のメッセージフラッグのようなもの、ゲートフラッグの略)を作ったりもした。作ったゲーフラがJ‘s GoalというJリーグが運営するWEB媒体で紹介された時はとても嬉しかった。
チームの練習場に行って長友佑都のサインをユニフォームにもらった。未だに宝物だ。
街でチームカラーである青と赤の服を見つけるとつい買ってしまい、私服が青赤だらけになった。
未だに友人づきあいが続いている友達ができた。地方から上京した僕にとっては東京に知人がいなかったので普段の生活がとても楽しくなった。FC東京の試合やペーニャのフットサルが無い日も一緒に遊んだりもした。
そして、そんな友人の紹介で妻とも出会った。
僕らは結婚した後も一緒に全国各地を巡った。
2010年にJ2降格の憂き目にあったが、2011年は今まで行ったことのないスタジアムにたくさん行けて楽しかった。J2でリーグを優勝した際に掲げたシャーレ(優勝皿)の小ささに驚いた。
2012年にFC東京アジアチャンピオンズリーグに進出した際には、ついに海外遠征をした。韓国で蔚山現代と試合をしたが、その際にBSに映ってしまい、母親から「あんた今どこにいるの!?」という電話がかかってきた。
中でも忘れられないのは、2008年のヤマザキナビスコカップの決勝、対川崎フロンターレ戦だ。あの時、群青の空に舞った純白のトイレットペーパーの群れも、米本拓司の強烈なミドルシュートも、そのシュートからゴールを守ろうとした川島永嗣の見事なまでに綺麗な横っ飛びも、きっと死ぬまで忘れないだろう。
書きながら思い出したが、チームが決勝進出を決めた時から、僕は決勝当日まで毎日朝と晩の2回、味の素スタジアムにお百度参りをする、というアホなことをした。その様子はいまだにブログに残っている。
http://fctnc2009.blog62.fc2.com
今でもチームはこのお百度参りのおかげで勝てたと信じてやまない。

そんな情熱的で燃えるような日々も、少しずつ変わっていった。
まず、ペーニャのフットサルに行かないようになった。当時は味の素スタジアムの最寄駅に住んでいたのだが、結婚をきっかけに数駅引っ越したのだ。それだけの理由なのに、フットサルに行く回数が減った。一度回数が減ると不思議なもので、フットサルに対する情熱はだんだんと冷めた。
フットサルに行かなくなってからはゴール裏で立ちながらチャントを叫んでいた観戦スタイルから、座ってじっくり試合が見られるバックスタンドでの観戦に変わった。もはや観戦人生の中でバックスタンドでの観戦歴の方が長くなっている。
それでも2016年まではホームゲームはほぼ皆勤賞で、2014年~2015年の武藤嘉紀のデビューから大活躍は直に体験し、熱狂した。
そして2017年に子供が生まれると、ついにスタジアムへ運ぶ足が途絶えた。
2018年、ついにSOCIOの更新をしなかった。

不思議なことなのだが、これはFC東京に飽きたということではなかった。
チームに対する愛情はいささかも失っていない。もちろんチームが負けこめば関心は遠のくが、それはチームに勝ってほしい気持ちの裏返しでもある。
ただ、生活スタイルが変わってしまったというだけのことなのだ。

さて、前置きが長くなった(むしろ前置きの方が長い)が、僕はFC東京の"サポーター"なのだろうか?
バックスタンドで観戦するようになってから、試合中に常にチャントを歌うことはなくなった。アウェイ遠征は今ではほとんど行かないし、ホームゲームすら危うい。もっぱら観戦はDAZNだし、チームが好調にもかかわらずDAZNですら見ない試合も多い。
それでも僕は"サポーター"と呼べるのだろうか?
ゴール裏で飛び跳ねてチャントを歌うわけではないし、毎年ユニフォームを買うわけではないし、以前のように会社の人を誘ってナイトゲームを観戦したりもしていない。
"サポーター"というものは修行者のようなもので、チームが勝とうが負けようがスタジアムに足しげく訪れてチームを応援する。チームが負けてしょげているときも、「次は勝てる、大丈夫だ!」とチームを励ます。どんなに連敗して最悪な時期もチームに対してチャントを欠かさない(あえてチャントをしない、という選択肢はあるが)。どんなに遠いスタジアムにも大人数が押し寄せ、チームを鼓舞する。雨が降れば選手と一緒に濡れ、雪が降れば選手と一緒に凍える。
自己をあたかも犠牲にするようにしてチームを応援し、それが彼らの極上の楽しみなのである。

かつての僕もそうだった。
だが、今の僕はそうではない。

チームが負ければニュースも見ないし、負ければ文句も言うしブーイングもする。アウェイゲームどころか、ホームゲームですらテレビで見る。年間チケットも買っていないので、チームに収益すらもたらさない。
だから人に説明する際にはあえて"サポーター"とは違うことを明示するため、自分のことを"ファン"だと言ったりもする。

だがしかし、初めて試合を見た時から今まで変わっていないものがひとつある。
それは「FC東京に勝ってほしい」という気持ちだ。
どんなに相性が悪い相手でも、どんなに下のカテゴリのチームが相手でも、海外のチームでも、練習試合でも、一度たりともチームに負けてほしいと思ったことはない。
どんな試合にも勝ってほしいし、誰が相手でも負けてほしくない。たとえ相手がレアルマドリードでも、ASローマでも、ユベントスでも、バイエルンミュンヘンでも、全北現代でも、広州広大でも、浦和レッズでも、鹿島アントラーズでも、川崎フロンターレでも、東京ヴェルディでも、横河武蔵野シティFCでも、絶っっっっっっっっ対に負けたくないのである。
この気持ちさえ残っていれば、僕は"サポーター"であると考えている。みんなそれぞれの立場でチームを応援しているのだ。
バーベキューに例えて言うなら、ゴール裏で声をからして応援している人たちは大きな炭である。僕のような人は、その炭が砕けて細かくなった小さな炭や灰である。もちろん大きな炭は肉の塊に火を通すのに多大な貢献をするが、それだけだとムラができてしまい、最悪コゲてしまう。このムラをなくすためには、地面に広がった小さな炭や灰の熱が必要なのである。
大きな炭と小さな炭がその熱を合わせ、肉の塊を包み込み、美味しいお肉が食べられるのだ。

誰しもが、自分の生活スタイルに沿ってできうる限りでチームのことを応援すればいいのである。そして、その応援の形も様々である。

クラブは経営が続く限りこれからも歴史を積み重ねていくだろう。それと一緒に、僕らサポーターも自分の人生を積み重ねていく。そんな人生の傍に多かれ少なかれサッカークラブが寄り添うということは、きっと人生を豊かにしてくれるだろうと確信している。
だからこれからも僕は、FC東京の"サポーター"であり続けるのだ。

そんな僕には、今3つの夢がある。
ひとつは、FC東京がリーグとACLを制覇する瞬間を目撃すること(せめて死ぬまでに1度でいいから…)。
もうひとつは、娘が3歳くらいになったら「お父さん、スタジアムに連れて行って!」と言われて一緒にスタジアムに行くこと。
そして最後に、大人になった娘が東京ヴェルディ川崎フロンターレのサポーターの彼氏を家に連れてきて「結婚したい」と言った時に「そんなチームを応援しているやつに娘はやらん!」と無下に断ってやることである。

 

text by 

弥三 (@yasabu_low) | Twitter

 

原の感想

 

おもしれぇぇぇぇーー。

FC東京を好きになった理由も面白いし、今の観戦スタイルも面白いし、最後の一文は、電車の中で読んでたんですが吹き出しそうになったw

 

 

「ペーニャ」というものについて初めて知りました。やはりハマっていった人がまず陥るワナが「ゴール裏行っていいのかな?」という感情はなんとなく想像できます。

 

それを乗り越えるにはそういう小さな集団というのはかなりいいですね。

 

そこでコミュニティも広がるし、色んな事を教えてくれる人がいるだろうし。

今はネットが発達してるからそういう組織はもっとあるのかな?ぜひ一回参加してみたいなw

 

だれか誘ってください!

そこから奥さんをゲットして、夢が娘の結婚相手を断るw

 

お姉さんがスタジアムに連れてってくれなかったらこんな夢は描かなかったんでしょうねw

サッカーが完全に生活を変えている人生模様が伝わってきてめっちゃおもしろかったです。ありがとうございました😊