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原大悟とは?

ブログを新しくしました。

自己紹介させていただきます。

かなり長いです。よかったら。

 

 

プロフィール

名前は原大悟(はら・だいご)と申します。 

1988年生まれ、8月で30歳になります。

昭和最後の世代ですね。63年生まれ。

サッカーでいうと、吉田麻也選手、香川真司選手、乾貴士選手、森本貴幸選手、吉本一謙選手、権田修一選手などの世代です。

サッカーは小学校3年から初めて大学1年までやりました。

サッカー歴 関前SC→横河武蔵野Jr→都立国分寺高校→東京学芸大学

お笑い歴は3年ぐらい

ワタナベコメディスクール12期→吉本クリエイティブエージェンシー

その後実況アナウンサーを目指し、今のフットメディアに所属しています。

2014年に結婚、2歳の息子とこの前生まれた娘がいます。

 

幼少期

昔の記憶がほとんどなく、よく家族にいじられるのですが、

なんとか思い出して書きたいと思います。

 

僕が生まれたのは原博実が30歳の時。

31歳の時に現役を引退しているので、父の現役時代の印象はありません。

保育園の時はかけっことかも結構早くて自信があったような気がするのですが、小学校に入って1年生の時に鬼みたいな先生(あくまで主観です)が担任になりまして、天からの授かりものであるビビリを発症。

全てのことにビビってしまって、友達とも積極的に関われなかったです。

マンションの同じ階に1つ上のいとこがいまして、学校終わりの学童ではそのいとこ頼りで遊んでいた記憶があります。

休み時間もサッカーをしているグループに入りたいけど、入れない、みたいな感じでした。

ドッチボール大会だけはなんだか好きで、学童のチームのキャプテンをやったことを覚えています。多分自分の中で唯一誇れることだったのでしょう。

まぁ選手宣誓で噛んだんですけど笑

 

サッカー選手を目指し期

その後3年生の時に小学校のサッカーチームに入ります。

しかしビビリが発動して圧倒的劣等感の中で練習していました。

周りがすでにうまかったんですね。

ビビリながらやってたんで上手くなりませんよね。

その後引っ越しがあって、引っ越した先の近くの関前SCというチームに入りました。

普通の町クラブなんですが、なでしこの岩渕真奈とか、兄貴でJ3藤枝の岩渕良太、FC東京の鈴木喜丈選手などプロ選手を輩出しています。

 

そこで5年生の時に背が大きかったんでスイーパーやれと言われてディフェンスになりました。

ここで初めて褒められて、そこからDF人生が始まりました。

町クラブにしてはまずまず人数がいる中で一応レギュラーになって市選抜に選ばれました。(この選抜が僕のキャリアの中で最高の選抜です笑。日本代表歴代得点ランキング4位の息子に生まれながら市選抜がキャリア最高って自分でも結構面白いです。ちなみにこの市選抜はウチのチームから8人くらい選ばれていました笑)

 

近いからという理由で受けた横河Jrユース。

その地域では名門の1つ。コンスタントに東京ベスト4に入っていたチームです。

そのセレクションに奇跡的に合格。

名門なので上手い選手がいすぎて中学3年間はずっとベンチ。

先発メンバーのためにボトルの水を変え続けました笑

 

3つ上に李忠成選手、2つ上にジュビロ宮崎智彦選手、1つ上に常盤聡選手、

三竿兄弟もここ出身です!(健斗選手は小学生時代)

同学年にはFリーグでプレーしている永島俊がいます。

 

本当に強いチームだったので僕にとっては練習が苦痛で仕方ありませんでした笑

よく委員会が長引いたと嘘を言って練習をサボっていたのを覚えています笑

 

一番サッカーが嫌いだった時期だと思います。

自分と同じくレギュラーになれない選手はほとんど辞めていったのですが

僕は親に辞めたいと言えませんでした。

両親は気にしていなかったと思いますが、なんとなく逃げのように感じたし、

プロの監督の息子が出れなくてチームをやめるという「無駄なドラ息子スピリッツ」が邪魔をしました。

 

高校は高校サッカーで全国が目指せそうで、もしかしたらレギュラー取れそうな都立国分寺高校を選びました。正直、部活でやって女の子にチヤホヤされたいという思いが強かったです。クラブチームでやっていると女の子にアピールしにくいので高校は部活動でやるというのは迷いはありませんでした。

 

高校に行くと中学3年間で上手い選手たちと、プロの指導者の下で揉まれたので自分達の代の中では十分やれるなと感じました。

3年時にセンターバックでレギュラーを取れました。

いっぱい練習していっぱい女の子にモテようとしたけど結局全国大会出場と女の子にモテるという2つの夢は叶えることができず。

ただいっぱい練習したし、自分でも高校時代が1番成長したなーと今でも思います。

 

しかし!!

ここで原はかなり単純なので、大学で強いチームに行って活躍したい!そしてプロへ!

今考えたら普通の都立高校でレギュラー取れただけなのに、本当にアホなんだけど当時は本当にいける!と思ってたんだよね笑

 

で、どこの大学に行けばいいか考えたんだけど、関東リーグ1部か2部にいる大学でサッカー部のセレクションがないとこ笑

プロいくぞ!って言ってるのにセレクションがない大学ばっか受けてた。

そんな自信のない奴プロいける訳ないよね。

 

まぁめでたく第一希望だった学芸大学に合格。情報通りセレクションなし。

無事に入部。

よしやるぞ!と意気込んでトレーニングに励み、4ヶ月で退部。笑

 

普通にうますぎる人が沢山いたんだよね。

 やっと気づいたんだよね。俺サッカー選手になれないって!

遅いよね。

1つ上ににサガン鳥栖高橋秀人選手、ザスパクサツ群馬鈴木崇文選手がいた。

 

Aチームだったから秀さんとはボール蹴ったことないんだけど、崇文さんが怪我明けでBチームと一緒に練習してくれたことがあったんだよね。

そしたら動かない動かない。

背負って僕がボール持つんだけど動かない動かない。

これがトップレベルか〜と痛感したね。

痛感したから速攻で辞めた。

 

やめる時に初めて秀さんが声かけてくれて(後から聞いたら覚えてないって言ってましたが)

 

「誰にでもそういう時はある。やめるな!」

 

大学の中で1つ上のスターに初めて話しかけてもらった。「やめるな!」って。

まぁやめたけどね笑。

やめたかったから。

あと、やめる!って決めてグランドに来た時に言われても遅かったから。

 

そんなこんなでサッカー人生終了。悔いなし。

 

 

お笑い芸人を目指し期

さて、サッカーやるために入った大学で4ヶ月でサッカーをやめた原。

ここから何でお笑いの世界を目指す事になったかというと、

俺は面白いんじゃないか!?と思ったから笑

シンプルです。面白くなかったんだけどね。

自分の好きなことをしようと思った。今まではサッカーしかやってこなかった人生。

全然強制された訳じゃないんだけど、今までは”サッカーやる”以外の選択肢は僕にはなかった。

両親ともにサッカーやれと言ってきた事は無いし、そんなプレッシャーもなかったんだけど、考えたこともないんだよね、「サッカー部にしようかな?野球部にしようかな?」と思ったことがない。

 

振り返ってみればこれ異常だよね。

普通は中学入ったり、高校入ったりするタイミングで何部に入ろうかな?みたいのあると思うけど、俺は”どこでサッカーやるか?”しか考えたことない!

そもそも俺はサッカー好きなのか?好きでやってるのか?

好きじゃないわ!めっちゃしんどかった!

お前は何が好きなんだ!?お笑いだ!中学の時はオンバト、高校の時はMー1に魅了されたじゃないか。

結構友達にはウケるじゃないか。やってみろ!

 

と自問自答しました。

そこからバイトしてお金を貯めて養成所の資金を貯めて大学4年の時に養成所に入ります。

 

お笑いなら吉本だろ!みたいな気持ちがあったんだけど、NSCは平日に授業があって行けないという事で週末コースというのがあるワタナベコメディスクールへ。

 

平日コースと週末コースとかに分かれていて週末コースは学生とか社会人やりながらという人がいた。そこで1年間通ってナベプロに所属できるかのオーディションがあるんだけど見事落選。

他の事務所を探す事に。

 

ちなみにこの時同期だったのが「あったかいんだから〜」でブレイクしたクマムシ

養成所時代から目立ってました。今も続けている同期もいっぱいいて当時から結構将来性のある世代と言われていました。今7〜8年目になるからそろそろ他のコンビもブレイクするんじゃないかな!もう結構テレビに出てるがじゅまるとかハナコなんかもいますのでぜひ注目してくだい。

 

ナベプロに所属できなかった僕は縁あって吉本さんに拾ってもらい何とか所属。

吉本はナベプロとは違い所属といってもめちゃくちゃ芸人さんがいるので何とか目立たないと!という事で父の事を言いまくりました!

コンビ名もザッケルゥ〜ニィに改名して頑張っていましたが、決定的だったのが

相方が全然サッカー知らないし好きじゃないんだよね笑

 

でも俺はサッカーのコンビ!っていうのを推していった方がいいと思っていたし、頑張らなきゃ頑張らなきゃと思いすぎて体育会系の頑張り方をしちゃったし、どんどん相方と溝ができていって解散。ネタも書いていなかったしツッコミだった俺は絶望。

Rー1にもチャレンジしたけど売れる可能性が自分で全く見えなくなったので芸人引退。

 

お笑い人生終了!悔いなし!

 

 

実況アナウンサーを目指し期

でここからなぜ実況を目指すようになったかという話。

普通にここから実況はあり得ないと思います。父にも「実況を目指す!」といった時、シンプルに「は?バカか?」と言われました笑

 

なぜか?

 

まぁ簡単にいうとサッカーってすごいな!と再確認したから。

サッカー芸人を目指して、サッカーの勉強もするようになってサッカーを見だすと普通に面白かった。あぁサッカーって面白いんだな!と思いました。

今まではずっとサッカーをやっていたので分からなかった。

 

そして、芸人時代は自分のライブに10人集めるのが本当に大変だった。

ファンがいないから友達に連絡しまくってお金と時間を沢山使ってもらって何とか人数を集めていた。

でもスタジアム行くと、毎週何万人がいる。何万人が熱狂している。

 

芸人の実力のある先輩方のライブでも集客というのは大変な問題でみんな苦労していた。でもサッカーは試合があれば何万人が集まり、熱狂している。これって本当にすごい事だなと。それだけサッカーには魅力があるんだなと初めて気がついた。

 

そこからサッカーの仕事につくためにどうすればいいか考えた。

色んな人に合わせてもらった。

その中で実況アナウンサーという道もあるという事を教えてくれた人がいた。

 

めちゃくちゃ驚いた。少ないけど局アナ経験を持たずに実況をやっている人たちがいると。知らなかった。アナウンサーは局アナの人やそこからフリーでやっている人しかいないと思っていた。

 

それを聞いた時、やりたいと思った。

単細胞生物だから、聞いた瞬間に絶対やりたいと思ってしまった。笑

 

今考えたら頭おかしいんだけど、

サッカーが楽しい!っていうのを伝えたい。ってシンプルに思った。

そして芸人時代もサッカーのことなら沢山喋れると感じていた。

喋るのが好きだから芸人を目指した部分もあるので、

その可能性を聞いた瞬間にやりたいと思ってしまった。

 

 

そして西岡さんの携帯電話の番号をゲット。笑

ダメ元で電話してみた。

絶対 知らん!と言われると思っていたけど

西岡さんはいきなり電話してきた僕にこう言った

 

「本気なんだったら、原博実の息子というのは10年〜20年ずっと武器になる」

 

痺れた。ドラ息子が武器になる?

よく分からなかった。意味がわからなかった。

最初だけ面白がってもらえる可能性はあるかな?と甘い考えがあったけど、長いスパンで武器になると言ってくれた。 

 

凄いインパクトだった。

そこから会社に通いながら、自分の録音したCDを持っていき西岡さんに1から教えてもらった。かなり贅沢だよね。かなり。

 

なんだかんだあって今に至る。

 

現在  

なんとか実況やらせてもらって、難しさと楽しさを感じています。

でも個人的には楽しい事ばかりです。

最近は育成というか、ベルギーリーグとかJ3とか、

ステップアップに位置付けられるリーグの試合実況が多いので、そういうリーグの面白さを特に感じています。

これからこの選手はどこまでいくんだろ?と考えると楽しくて仕方ありません。

 

それをより多くの人に感じて欲しいなと思ってます。

より多くの人楽しさを感じてもらえるようにするにはどうしたらいいか、

結構考えています。

もちろん放送中に、より魅力的に伝えることを考えていますが、

それ以外でもやれることがあるんじゃないなか?と日々妄想しています。

 

可能性を感じているのが、やはりSNSです。

芸人時代からブログやツイッターが好きで、失敗もしましたが、

それによってSNSがなかった頃には考えられいぐらいの人々と交流できています。

 

若い人たちは本当に若い頃からSNSを使いこなして、成長してきています。

僕は大学に入った頃にツイッターを始めたましたが、中学生や高校生の頃にこういうツールがあったらどうなっていたのだろう?と思います。

もちろんリスクもあるとは思いますが、可能性はそれ以上に大きいと感じています。

 

ネット上での交流が多かったのですが、これからそういう人とリアルに交流して、

そこから考えた事をまたSNSで発信していけば、まだサッカーの魅力を知らない人にも伝えられるのではないかと思っています。

 

ぜひ楽しくブログやツイッターを更新していきますのでお付き合いください。

では。

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追記。

最後に取材してもらった記事を載せておきます。

こっちのほうがかっこよくまとめてもらってるのでぜひ

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 *写真はベルギーで出会った陽気なおじさん