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ガンズくんとアルウィンのピッチで写真を撮った日

text by これ (@Ritalin_203) | Twitter

6年。卸したての黒いランドセルを背負った子どもは、快楽を知り、世の中は自分が思っているほどいいものではないと気づく。昼と夜が2000回以上繰り返され、地球は太陽の周りを6周回る。そんな長いようで短いような年月。2018年6月、松本山雅FCのマスコットキャラクター・ガンズくんが就任6周年を迎えた。


そんなガンズくんの就任6周年を祝うべく、松本山雅FCから売り出されたのが、その名も「ガンズくんチケット」。このチケットを買うことで、ガンズくんとアルウィンのピッチで記念撮影ができるという代物だ。こんなチャンスは滅多にないと思った。私は一般発売当日にコンビニへと走り、慣れた手際でチケットを購入した。見飽きた緑色がいつもより新鮮なものに感じられた。


そして、当日。アルウィンは晴れていた。同じくガンズくんチケットを購入した人たちが、スタジアム外総合案内場前に集まった。人数にして30人ほどだっただろうか。老若男女問わずがワクワクした様子でその時を今か今かと待ちわびていた。その全員の頭をガンズくんのお面が彩っている。この集団でひとたび街を歩けば、周囲の視線を集めること間違いなしだ。


まさに中肉中背といったスタッフに案内され、私たちは関係者入場口へと向かう。到着してしばらく待っていると、本日の主役であるガンズくんが現れた。この後の書道パフォーマンスに参加するためか、袴を着た和の出で立ちだ。たくさんのカメラ、スマートフォンがガンズくんに向けられる。ファンから送られた「6th Anniversary」というキーチャームを持ち、照れた様子のガンズくん。絶え間なく切られるシャッター音が、ガンズくんの6年に渡る活動により積み上げて来たものを思わせた。


スタッフの「そろそろ行きますよ」という声で、掲げられるカメラの数は減っていく。この日のガンズくんのスケジュールはタイトで、ピッチに入る前に、これ以上時間をかけることは出来なかったのだ。私たちはそれを入場する際に配られたガンズくんのタイムスケジュールにより知っていた。ガンズくんが先頭になってスタジアムの中に吸い込まれていく。その時は、いよいよ近づいてきていた。


1メートル60センチを優に超える大鳥・ガンズくんに誘われ、スタジアムの中に入っていく私たち。その姿はあたかもハーメルンの笛吹きによって攫われる子供たちのように傍から見えていたのだろう。ある意味ではそうかもしれない。ガンズくんとピッチで記念撮影ができるという期待感に私たちの頭と心は完全に支配されていた。


 関係者入口を潜った私たちが目にしたのはモスグリーン、ボトルグリーン、ビリジアン、様々な緑色をした洋服たち。松本山雅FCの歴代のユニフォームがそこには一様に並べられていた。このユニフォームを着てかつての選手たちがピッチを駆ける姿を思い浮かべたとき、私の胸は高鳴りを覚えた。そして緑の集合体の中で自らの存在を主張するように浮かぶ赤と白。パラグアイ代表のチェック柄のユニフォームだ。2001年に供用が開始されたアルウィンは2002年パラグアイ代表のW杯キャンプ地として使用されていたのだ。その時、当時の代表GKだったチラベルトが「こんないいスタジアムなのに、どうしてここを本拠地とするチームがないのか」と発言したことが松本山雅FCの歴史において大きな分岐点となったのだが、その話はまた別の機会に。


 いつ来るかも知れない関係者を待つスタッフを横目にガンズくんと私たちは一段一段階段を下りていく。アルウィンのピッチが一歩一歩、歩を進めるたびに近づいてくる。しかし「もうすぐだね」とこぼす者はいなかった。それはもうすぐアルウィンのピッチに立つという緊張の表れでもあった。私たちは待ち遠しい気持ちとともに、確かに緊張もしていたのだ(実際にはスタッフがDAZNのインタビューをしてますから静かにしてくださいねと言ったのだが)。


 ガラスでできたドアをガンズくんが開けた。視界が一気に開けた。アルウィンのピッチは絵本の中に出てくる宮殿の庭園を思わせるほど青々としており、空は今にも落ちてきそうなほど青く澄み渡っていた。ピッチに出て1周ぐるりと回ってみる。360度どこを見渡してもあらゆるところにボールドグリーンにダークグリーンがグラフィックで入ったユニフォームを身に纏ったファンと呼ばれる人たちがいた。一角に陣取る黄色と青の栃木サポータをものともしないような緑の群れ。これならば選手が心強く感じるのも当然だ。そう思うことができた。


 何よりアルウィンのピッチは私にとって夢の場所であった。中学時代、いくら練習しても運動神経が悪く体力のない私はベンチにも入れない状況が長らく続いていた。私の通っていた中学校は決して強豪と言えるような学校ではなく、地域の大会で敗れるということを繰り返してはいたのだが、私の一つ上の代は、こういうとおかしく聞こえるかもしれないが、ある種の確変のように強く、チームとして久し振りに出場した県大会で3位に入った。その県大会の舞台が紛れもないアルウィンだった。


 2000年代の長野県のサッカーはどの年代でも決勝や準決勝といった大舞台になると決まってアルウィンで試合をしていた。地域の大会のパンフレットの表紙にも”聖地、アルウィンへ―”と書かれるほど、長野県でプレーするサッカー少年のアルウィンに対する憧れは強烈なものがあったのだ。


 私たちの先輩はアルウィンでプレーをした。相手のボールをスライディングで奪い、攻撃のために長い距離を駆け上がり、肩を組んでPK戦に臨んだ。補欠の補欠だった私は当然ピッチに立つことはできず、スタンドから応援をしていた。それしかできることがなかったのだ。その時はしょうがないと自分を納得させていたが悔しい思いは消えることはなかった。私たちはその翌年の大会、市で最下位になり敗退した。


 そしてそれから8年が経とうとしていたこの日。アルウィンのピッチに立った時に私の心の中で燻ぶっていた思いはものの見事に霧散した。あの時立てなかったピッチに今こうして立つことができているのだ。万感の思いというものを身を持って感じた気分だった。私は私をここに連れてきたガンズくんに感謝した。心の中で手を合わせて感謝した。トサカが一瞬揺れたように見えた。


 「はい、では撮りますよー」


 写真はガンズくんがセンターポジションを取り、一番前に子どもたち、後列に大人が並ぶというそれしかないというやり方で撮られた。頭につけられた勲章が上下左右に揺れる。誰もがよく写る並び方を求め、カメラマンが指示を出す。私は一番後ろの右に位置することになった。なるべく目立ちたくない私にとってはベストポジションと言えた。


 正面のカメラマンがシャッターを切る。一瞬が切り取られ、永遠に変わる。私は一番後ろにいて見えなかったのだが誰もが顔を綻ばせていたのだろう。子供に大人、そしてガンズくん、誰もがだ。周囲から撮影が終わったという安堵のため息が漏れ始めた頃、メインスタンド中央から明朗な声が聴こえた。


 「今度はスタンドの上から撮りまーす」。カメラがあったのはメインスタンドをさらに上ったところにある実況席のそのさらに上。ただでさえ標高高くに位置するアルウィンにおいて、そこは有人カメラが構えることができる最高点だった。一瞬あたりがざわついた。しかし、それもすぐに収まった。今度はどんな写真が撮れるのだろう。そのワクワクに瞬時に切り替わったからだ。顔を上げて一番上のカメラに向かって笑う被写体たち。それをカメラは移す。シャッター音がした。「ありがとうございます」。どうやらよく撮れたようだ。私たちは顔を元に戻した。これで終わりだろう。この時の私は浅はかながらもそう考え、足を一歩後ろに踏み出そうとした。しかし、そんな浅はかな考えはスタッフの次の一言にかき消された。


 「もう1枚撮ります」


 言い忘れたが、私はあまり写真が好きではない。できるならなるべく写りたくないとさえ考えている。しかし、ガンズくんとアルウィンのピッチで写真が撮れる機会はそうはないのだ。誰かが人差し指を立てた。周囲も徐々にそれが広まっていく。「今度は『OneSoul』ポーズで撮りましょう」。スタッフがそう口にしたからだ。


 松本山雅FCではスローガンに代々「OneSoul」という文句を使用している。いつから使われているかは私は覚えていないが、おそらくもう10年以上使われているのではないか。そしていつの間にか人差し指を立てるポーズを松本山雅FCの周辺では「OneSoul」ポーズと言うようになった。「トゥース」や「シューイチ」ではない。松本山雅FCの界隈では人差し指を立てる、イコール「OneSoul」ポーズなのだ。


 私は後ろ向きになりそうな心内を抑え、人差し指を立てた。するとどうだろう。自然と口元が緩んできた。まるで人差し指と口が結ばれ、連動しているかのようだ。笑顔を再び取り戻し私はカメラの方を向いた。正面のカメラだ。「はい、『One Soul』」。シャッターが三度切られた。ガンズくんを含め、全員が「OneSoul」ポーズで一つになった。どんなふうに撮られているか。写真の出来上がりが楽しみである。


 3枚撮っても写真撮影はまだ終わらない。正面のカメラで撮ったということは当然上のカメラでも撮るということだ。私たちは再び顔を上げた。今度は腕を伸ばして各々の手をカメラに少しでも近づけようとする者も現れた。私も少しだけ腕を伸ばした。伸ばした腕に少しの風が当たって心地よかった。


 4枚の写真を撮り写真撮影はスムーズに幕を閉じた。もうピッチを出なければならない。再びガンズくんを先頭に歩き出す参加者たち。私は振り向いた。名残惜しかったのだ。そこには緑色が撮影前よりも数を増していた。自然と顔が柔らかくなった。「どうかこのファン・サポーターの人たちが選手の背中を押す力になりますように」。私はそう思いながら列の最後でピッチを後にした。小さくお辞儀をした。「また来てね」とアルウィンのピッチが語り掛けてきた気がした。


 行きとは逆の順序でスタジアムの外に出る私たち。スタジアムの中ではいかにも元気いっぱいという子供たちがエスコートキッズの指導を受けている。この子たちもいつか選手としてアルウィンのピッチに立つ日が来てほしい。そう願わずにはいられなかった。


 階段を上る。スタッフは変わらず手持ち無沙汰に立ったままだ。退屈そうにするその姿が私を安心させる。そしてドアを潜り外に出る。アスファルトの照り返しがより暑さを増して私を襲う。戻ってきた。夢のような時間は終わった。そう思い知らされるには十分な暑さだった。でも当然のことだが夢ではなかった。アルウィンのピッチを踏みしめた感触はまだ足の裏に残っていたし、引き換えてもらったガンズくんのお面もちゃんと頭の上にのかっている。それにまだ、目の前にガンズくんはいるのだ。もう一度自分の身に起きたことを反芻してみる。それはちゃんと味がした。夢の中では何を食べても味がしないはずだ。20分というそう長くはない時間だったがちゃんと現実のものだったのだ。私は心の中でもう一度ガンズくんに感謝した。「ガンズくん、ありがとう」。ガンズくんの黒い目に私の姿が映った。


 最後にはハイタッチをしてガンズくんと別れた。その前の参加者がやたらとサインをねだる人が続いたので、辺りには急かすような雰囲気が出ていた。私の番だ。私の右手とガンズくんの右手が触れた。「離れたくない」。そう思うよりも先に左手が出ていた。ガンズくんの右手を私の両手が掴んだ。力を入れる。心の中でもう一度「ありがとう」と呟いた。両手を放す。空は相変わらず澄んでいて、6月だというのに太陽が強く、強く照りつける。ピッチを踏みしめたその両足で私は歩き出した。


夢のような時間をくれたガンズくん、そして松本山雅FCへ。最後にもう一度伝えたい。ありがとうございました。

 

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原の感想

サポライター第2弾でいきなり小説家が降臨したw

 

僕が想像もしていなかった物語。

でもこういうのはサッカーだけ見ててもわからないし、まさしくサポーター目線と言えるかもしれない。

 

ガンズくんの話なのに途中で恋物語を読んでるような気分にもなったし、いきなりアルウィンに戻ってきた気分にもなったし、なんか色んな感情が巡り巡った。

 

書いてくれた「これ」さんは何者なんだろう?笑

すごい人いるな!